
マリさんという人
「このお話の主人公は?」と聞かれたら、私は思わず「マリさん」と答えてしまうかもしれません。本当の主人公は、五年生の少年「シン」なのですが……。
シンは父を亡くし、母と二人暮らし。友人との関係から声が出せなくなりました。そんな中、母の海外出張が決まり、会ったこともない母の友人マリさんと過ごすことになったのです。駅に迎えに来たマリさんは〈オトコだけどオンナ〉のかっこうをする人でした。
「マリさんのような人が身近にいるの?」―本を読んでくださった方からよく聞かれます。でも私はマリさんのような人を、実生活では知らないのです。私の頭の中から生まれたマリさんですが、書き進めるうちに声音を持ち、独自の考えを私に語ってくれるようになりました。いつの間にか私は、「マリさんが友だちだったらなあ」と思うようになりました。
作品の舞台は東京都三鷹市。三鷹には江戸時代に作られた玉川上水が流れています。昔は水量が多く、多くの人が溺れたそうです。〈人喰い川〉と呼ばれていました。ここを舞台に、命を絶ち切られるようにして亡くなった人々の無念さを、いつか書きたいと思っていました。シンは、この〈人喰い川〉で〈死〉と向き合います。
こういった場面場面やシンの心を、画家の渡邊智子さんは、象徴的な絵で見事に表現してくださいました。
マリさんと一週間を過ごしたシンは、最後、きっぱりと言います。「マリさんは、マリさんさ」―。
マリさんは辛いとき、ご飯をいっぱい食べる人です。「あたし、ひどい言葉は体の中に入れないの。聞こえなかったって思うの」、そういって馬のようにパッカパッカと歩く人です。
〈オンナ? オトコ?〉という括りでなく、マリさんが一人の人間〈マリさん〉として、読んでくださった方の心に残れば、無上の喜びです。
(まつもと・さとみ)●既刊に『アルルおばさんのすきなこと』『ともだちまねきねこ』など。
汐文社
『声の出ないぼくとマリさんの一週間』
松本聰美・作
渡邊智子・絵
本体1,400円