
『小さな魚』
エリック・C・ホガード/作、犬飼和雄/訳
1969年初刷発行、1995年改訂新版発行
今から四十五年前のある日、エイジェントから売込の資料が送られてきた。その中に子ども向けの読物があって、仮題が『ナポリの雑魚たち』となっていた。原題は『THE LITTLE FISHES』。「まえがき」にこう書かれていた。
(以下犬飼和雄訳から引用させていただく。)
「戦争のことを話してよ。戦争ってどんなものだったの?」と、子どもが父親にたずねる。父親は思い出そうとして遠くを見る。父親はいろいろな顔を思いうかべる。若いころの友人たちの顔だ。みんな「戦争ってどんなものだったの?」ときく子どもをもつこともなく、戦死してしまった。
「ひどいものだったよ」と、父親は考えたすえにいう。そういってから、父親はやさしい人なので、戦争中自分の身におこったことを、ユーモアをこめて子どもに語る。どんなに悲惨なときでさえ、人間は笑いを失ってはならないものだと思っていたからだ。
本書は、一九四三年に、三人の子どもが、古代ギリシャの叙事詩オデュッセイアのように、ナポリからカッシノまで放浪した物語である。(中略)「戦争ってどんなものだったの?」という質問に、かって戦争をした大部分のおとなたちは答えていないが、わたしは、この物語が答になることを願っている。
辞書を片手に本文を読みはじめると、私はぐいぐい物語に引き込まれていった。そして、是非出版したいと思った。
当時、小社では児童書を出しておらず、担当する編集者もいなかったが、フォークナー全集を出すために、アメリカ文学を専攻した優秀な卒業生が一人入社したところだった。私は彼に原書を読んでみてくれるよう頼んだ。彼の答えは「絶対やるべきです」。そこで、翻訳権を取り、フォークナー全集の訳者のお一人の木島始先生にご相談して犬飼和雄先生に翻訳をお願いした。一九六九年七月『小さな魚』を出版すると、第十六回課題図書に選ばれ、NHKのラジオドラマとしても放送された。
犬飼先生は、児童文学とは無縁の方だったが、この作品を訳されたのが縁で、作者エリック・ホガードのほかの作品や児童文学作品を翻訳されたり、研究なさったり、また、ご自身で児童文学作品をお書きになるようになった。
私が原書を「読んでみてくれ」とたのんだ社員は、その後児童文学に惹かれ、児童書出版社のF社に移り、編集者の道を歩んだ。
ある時めぐり会った本が、その人の生き方を決めると聞く。『小さな魚』もそのような本の一冊なのだ。そして、この本の使命はまだまだ終わっていない。