日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『ソリアを森へ』 杉田七重

(月刊「こどもの本」2024年3月号より)
杉田七重さん

バイバイ、ソリア。

 近ごろ漫画やアニメーション映画に感動して、ため息をつくことがよくあります。「ああ、これは敵わないな……」と。小説の翻訳をしていて一番難しいと思うのは、訳文を通して人物の内面を読者に過不足なく伝えること。登場人物の感情を描くために、作家は表情の微妙な変化を描写することに心を砕きます。眉をつりあげれば怒っている、眉を寄せれば困っている……。

 しかし、そういった言葉だけではどうしても伝わらない感情もあって、それをわずか数秒の画像が十二分に表現しているのを目の当たりにすれば息をのむしかありません。

 そんな折に、『ソリアを森へ』がわたしのもとへやってきました。ベトナムの自然保護活動家チャン・グエンの若き日の奮闘を描いた自伝的グラフィックノベルです。生後まもなく親を奪われたマレーグマを育て、森に帰すまでを記録した感動作ですが、これが小説だったら迷ったかもしれない、グラフィックノベルだったから迷わず版権を取得したと、編集さんが言っていました。まさに慧眼。その一か月後に、この作品はカーネギー賞画家賞に輝き、「ベトナム人」の若い画家が「グラフィックノベル」で受賞という初の快挙に世界は騒然となりました。

 その画家、ジート・ズーンさんが生まれ育ったハノイ。そこを昨年末に訪れる機会に恵まれました。オートバイの大群が騒音と排気ガスを撒き散らして疾走し、日没には美しい湖の周りに人々が集まって賑やかに踊り、和やかに語り合う。この町がジートさんをつくりあげた。そう思った瞬間、『ソリアを森へ』で、主人公がクマを森へ帰す圧巻のラストがハノイの空に大きく映し出され、胸が一杯になりました。

 実際の作品では、この場面は見開き二ページのダイナミックな絵数点で構成されていて、言葉はほんのひと言。なくても筋はわかるけれど、ここはどうしても「言葉」が欲しい。そこがグラフィックノベルなのですね。絵と言葉の見事なコラボレーションを存分にお楽しみいただければと思います。

(すぎた・ななえ)●既訳書に『海を見た日』『ドクター・ドリトル航海記』『ロザリーのひみつ指令』など。

『ソリアを森へ』"
鈴木出版
『ソリアを森へ』
チャン・グエン・作/ジート・ズーン・絵/杉田七重・訳
定価1,870円(税込)