
どこの世界におる!
世の中の親を「優しい人」と「厳しい人」に分けるとしたら、私の父は「とても厳しい人」だった。甘やかされた思い出はひとつもない。
私がどんな悪いことをしたのか、まったく覚えていないのだけれど、夕ごはんのテーブルを両親と弟と私の四人で囲んでいるときによく叱られていたという記憶がある。
父の叱責の決まり文句はこうだった。
「そんなことをする人間がどこの世界におる!」
父が怒り始めると、母も怒った。
「あんたは食事時になると怒り出す!ごはんがまずくなる。困ったもんじゃ」
父が怒った日のごはんは確かにまずかった。全員、黙って食べている。私はそそくさと食事を終えて、自分の部屋へ逃げ込む。父は、子どもにはテレビを見せないという教育方針を貫いていたので、楽しみと言えば読書だけ。
本だけは、ふんだんに買い与えられていた。女の子だからと言って、家事をする必要はない。代わりにもっと勉強しなさいと、いつも言われていた。日本を飛び出してアメリカへ行くと決めたときにも、父は私のやりたいようにやらせてくれた。
渡米後、父は毎月一、二通の頻度で、手紙を送ってくれた。手書きの手紙には、漫画が添えられている。父の趣味は、漫画を描くことだった。
あるとき、ぶあつい封筒にスケッチブックのコピーが入っていた。子ども時代から青年時代までの出来事を綴った絵日記のようなもので、日本が満州事変を起こした年に生まれた父が十五年の長きにわたって耐え抜いた、太平洋戦争の記録にもなっていた。
長いあいだ、私の机の引き出しの奥で眠っていた父のスケッチブックを取り出して、私は物語を書いた。それが『川滝少年のスケッチブック』である。親不孝だった娘の、初めての父親孝行になった。
「こんなモンを出す人間がどこの世界におる!」
そう言われて、父に叱られたい。なんて言ったら、叱られるかな。現在、九十一歳の川滝少年に。
(こでまり・るい)●既刊に『七つの石の物語』「ねこの町」シリーズ、『ごはん食べにおいでよ』など。
講談社
『川滝少年のスケッチブック』
小手鞠るい、川瀧喜正・著
定価1,540円(税込)