日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『愛蔵版 グレイがまってるから』 いせひでこ

(月刊「こどもの本」2022年12月号より)
いせひでこさん

「ね」で通じあえたこころ、そして「生と死」

 一匹の犬シベリアンハスキーが、私に風を追いかけさせ、季節を追いかけさせ、時を忘れさせた。グレイは、私を即興詩人にした。

 グレイのその日その日の無邪気さと無防備さがまき起こすできごとは記録せずにはいられなかった。

 だが、次々と告げられる不治の病。見えない不安や恐怖、音もなくやってくる発作や気配。いたわりあい、さぐりあい、生と死のかけひき……生きものとは、ここまで「生きる」を確かめられずにはいられないのか。私が、異常な記録魔だったのか。

 メモ帳、スケッチ、訓練ノート、闘病日誌と医療データなど。半端でないメモを元に原稿は、何回も角度を変えて、手書きで書き直されていた。

 パソコンもワープロもない時代、削ったり足したり書き直しながら「グレイ」という犬の輪郭を等身大に伝えようとしていた。本体を失ってからも書き続けていたことに我ながら驚く。

 九〇年代にグレイの三部作として、単行本、文庫本で重版を重ねていたが、全て絶版になっていた昨年、三冊合体した新装版が企画された。

「時」をまたぎ、ヒトとイヌの境を超え、母子ははこの原初な営みに似た家族のかたち。

「銀色の風のような絵描きの父」を見送り、グレイの死期が迫るあたりの「生と死」の間で日常がきしみ始めていく。その変化に引っ張り込まれないよう、手からこぼれていく幸せを食い止めたくて、犬と家族のバタバタを描いて笑い飛ばしていたような五年間、実は、その喧騒の奥に「静謐」を描いていた、と今になって思う。百閒や漱石の猫に次ぐ名作であろう(!)。

 言葉を持たない患犬と家族に接する時の、動物のお医者さんの誠実で深い愛情。余命を伝える時でさえ、獣医さんたちの土に染み込む春の雨のような言葉は、この本の宝ものだった。

 あれから三〇年、絵描きは犬と歩かなくなって、杖と歩くようになった。杖はおもしろいものをみつけても「ね」と言ってはくれない。

●既刊に『たぬき』『木のあかちゃんズ』『見えない蝶をさがして』、『あの路』(文・山本けんぞう)など。

『愛蔵版 グレイがまってるから』
平凡社
『愛蔵版 グレイがまってるから』
いせひでこ・著
定価2,420円(税込)