
過ぎたれど去らぬ日々
「広島では誰かが絶えず、今でも人を捜し出そうとしているのでした」と原民喜が『夏の花』に書いている。
私が育った時代を思い起こしてみても、本当にその通りだった。もはや戦後ではないと言われ始めたころになっても、人びとは変わらず誰かを待ち続け、捜していたのである。
バスの中でまじまじとこちらを見ていた婦人。同じ年頃の子どもを捜していたのだろうか。
すれ違う人に追いすがっては顔をのぞきこむ青年。帰ってこない家族を見つけたと思ったのだろうか。
「うちの真知子がのう……」と昨日のことのように語る老人。よくよく聞いてみれば、それはあの朝、出かけたきりの娘の話だったりする。
なにしろ、一瞬で何万人もの人びとがいなくなってしまったのだ。あまりにも突然に大切な人を奪われた人びとにとって、過去は「過ぎたれど決して去らぬ」日々なのである。復興した街が原爆の恐ろしい痕跡をすっかり隠してしまったあとも。
このたび、ヒロシマの去らぬ日々を描いた連作「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の三編を、『八月の光』として上梓した。
二十万の死があれば二十万の物語があり、残された人々にはそれ以上の物語がある。
この本に書いたのは、そのうちのたった三つの物語に過ぎない。
しかし、たとえわずかでも記憶をわかち持つことができれば、過去を未来に繋いでいくことができるかもしれない。生き残った人々の苦しみに、もっと深く寄り添えるかもしれない─ヒロシマについて私はずっとそのように考えてきたが、三月十一日以来、ますます強くそう思うようになった。
『八月の光』は、その思いのささやかなかたちである。
ヒロシマの切ない記憶が、どうか、この本を手にとって下さる方の心に落ちますようにと、心から祈っている。
(くつき・しょう)●既刊に『かはたれ─散在ガ池の河童猫』『彼岸花はきつねのかんざし』『オン・ザ・ライン』など。
偕成社
『八月の光』
朽木 祥・著
本体1,000円