
こんな光景に会うために作っている
昨年十月、イギリスに招かれ、三日間にわたってコベントリーという街の小学校をいくつも訪れ、ワークショップをやりました。
ちょうどそのころ、この本『アブラカダブラ カタクリコ』のイギリス版『Hat Tricks』の出版準備が進んでいました。ロンドンに戻ると版元の方から、プロモーション用の映像を作りたいという話があり、ワークショップ用にこの本の紙芝居版を作ってあったのですが、それをビデオで撮影することになりました。
カフェの片隅を使わせてもらって、撮影が始まったのですが、どうもうまくいきません。カメラの前でやってみるものの、どこかそらぞらしいのです。
その原因は観客がいないためでした。子供が見ていないところで演じるのが難しいのです。ワークショップでは子供たちが紙芝居の絵をじっと見つめ、話に耳を傾けてくれることで、初めて出来るのだと気がつきました。
というわけで、観客はいないか、とカフェを見渡すと、テーブル席に小さな子供ふたりと昼食をとっているおかあさんがいます。事情を話して、その子たちに観客になってもらい、『Hat Tricks』を見せました。ふと見ると店の他の客たちも自分の席を離れて紙芝居を見ています。
無事撮影がすんで片付けをしていると、先の子供のひとり、4歳くらいの女の子がやってきて、その本をかしてほしいと言います。その本というのは刷りあがったばかりの『Hat Tricks』の校正刷です。手渡すとおかあさんのところに持ってゆき、読んでもらっています。読み終わると、「もういちど」と言って、また最初から読んでもらい、三回ほど繰り返し読んでいました。
長年、本の仕事をしてきましたが、自分の作ったものを親子が読んでいるのを見ることは、そうはありません。まさにこんな親子のために絵本を作っているのですから、こういう光景に接するとちょっと安心し、また嬉しくなります。この本を作ってよかった……。その時思いました。
(きたむら・さとし)●既刊に『ミリーのすてきなぼうし』『ポットさん』『わたしのゆたんぽ』など。
BL出版
『アブラ カダブラ カタクリコ』
きたむらさとし・作
本体1,300円