
沢の水場で生きて
葉陰にこもれ陽がゆらゆらゆれている。湿った石の匂い、草の匂い、土の匂い、虫のつーんとした匂い、若木や腐った樹の匂い。苔清水がちゃぽちゃぽ、沢の岩の間を抜けていく。赤い沢蟹が、石の隙間を出たり入ったり。銀色に光る蜘蛛の糸の露をゆらして、大きなオニヤンマが飛んでいく。蛇は見たいけれど、恐い。あのひんやりとした、ぬめぬめな感じで草むらを縫っていくのを見ると、何か見てはいけないものを見てしまったという危うい気持ちになる。
ばさばさと頭上で鳥の羽音がして、見上げるとまるで魔法使いの仕業でもあるかの様に、様々な形の木々や枝葉が交錯し、光が散らばって降ってくる。黒い大きな鳥が影絵の様にゆっくり飛んでいく。「……!」 私は、しゃがみ込んで暫く辺りの空気と一緒になる。じっとしているのがいいんだ。
こどもの頃、山と川が遊び場だった。危ない所は、おとなが示してくれた。それは、絶対に守らないと死に直面する所で、こどもの直感にびしりと迫る所なのだった。おとなが守っていてくれるという安心感をいつも持ちながら、のびのびと遊んでいたのだった。そして、自分を守るために、川での泳ぎを覚え、潜りを覚える。山道や沢登りを覚え、毒を持つ生きものを学ぶ。自然と遊ぶのは、そんな緊張感を持ちながら、「遊んだ!」という満足感がいっぱいだからだ。遊びながら、ふと親や近所のおじいさんやおばさんの声が遠くに近くに聞こえてくる距離。そんな声を運ぶ風の中で遊んでいる時が、いちばん安心できた。
学校から帰って、家に誰も居らず、裏口に出て山の段々畑に向かって、親や祖父の名を大きな声で呼んだ。上の畑から「おかえりー」と返事がすると安心した。土間の大瓶の水をごくりと飲む。午後の薄暗い台所、竈の焚き口の灰、囲炉裏の火吹き竹、大きな臼、庭先に埋めた大瓶に沢の水が引き込まれ、こんこんと溢れ出ている。何だか、幻燈の様に、8ミリフィルムの様に、カタカタとこどもの頃が動き出す。
(いいの・かずよし)●既刊に「ねぎぼうずのあさたろう」シリーズ、『月見草の花嫁』など。
小峰書店
『みずくみに』
飯野和好・絵と文
本体1,400円