どちらも現実
書き割りでできた街を歩いている。
中学生のころ、そんなふうに感じることがあった。現実の世界が、なぜかよそよそしいものに思えたのだ。
そのころ、夢の中に繰り返しあらわれる街があった。
自宅と川までの距離感、駅のある方向などは実際に住んでいる場所と似ていたが、夢の中の街には息をのむほど美しい水辺や瀟洒な建物があって、現実の街よりよほど魅力的だった。
夢に見るたびに時間が前後していて、新しい本屋ができていたり、街並みが大正時代を思わせるものに変わっていたりする。馴染みの道をいつもとは逆方向に歩いたり、好ましい変化に気づいたりして、わたしは夢の中の散策を楽しんでいた。
引っ越しをしたせいか、いつのまにか、その街の夢を見ることはなくなった。けれど樹々が立ち並ぶ水路の静謐な余韻は、いまも体に残っている。
『ハルカの世界』の冒頭に出てくる水路は、かつて夢で見た水路とつながっている。
『ニコルの塔』という物語を書いてから随分時間がたってしまったけれど、『ハルカの世界』では、はじめから『ニコルの塔』と対になるようなものを書くつもりだった。どちらも「非現実」とレッテルを貼られる世界が、現実以上にリアルに立ちあらわれることを目指している。
現実と非現実の狭間で、ひとりの少女がもがいているのも同じだ。
先日、女優のアン・ハサウェイさんが、バッシングを受けて傷ついた時期を述懐するインタビューを見る機会があった。「あの頃は、まだ自分のことをちゃんと愛せていなかった」という言葉が心に残った。
この新刊を手に取ってくれた読者が主人公とともにふたつの世界を往来して、少しでも自分を愛する術を見つけてくれたら、これに勝る喜びはない。
自分を愛することができなければ、自分が存在している世界を愛することも、困難に違いないだろうから。
(こもり・かおり)●既刊に『さくら、ひかる。』『時知らずの庭』『ウパーラは眠る』など。
BL出版
『ハルカの世界』
小森香折・作/さとうゆうすけ・絵
定価1,870円(税込)