日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『夏と おとうとと』 福田岩緒

(月刊「こどもの本」2019年8月号より)
福田岩緒さん

一番仲が悪くて、一番仲の良い弟

 中学にあがったばかりの頃、二つ年下の弟が中耳炎という耳の病気で手術をした。学校から帰ると家には誰もいなかった。「○○の手術でお姉ちゃんもお母さんたちも病院に行っている」という内容のメモ書きがあり、病院の電話番号と住所を記してあった。そばにはお金も置いてあった。病院は倉敷駅近くで、バスで三十分ほどかかる。僕が病院を見つけた頃にはあたりはもうすっかり暗くなっていた。病院へ入ると両親と姉と親戚のおじさんが、寄り添うように待機していた。弟が手術室に入って随分時間がたっているのに、まだ手術は終わっていなかった。おじさんが、僕を駅前の食堂に連れて行ってくれたけれど、何を食べたのかも、美味しかったのかどうかも、僕の記憶には全く残っていない。おじさんと病院の薄暗い待合室に戻り、壁際の長いすに座った。父も母も姉もみんな黙ったままだ。ときおり聞こえてくるうめき声に、ドキッとさせられながら僕たちは待ち続けた。

 ……小さい頃から弟は水に入ることを避けていた。夏はプールや川遊びにも行かず、家族で海水浴に行っても、弟だけは泳ぐことは無かった。弟とはしょっちゅうケンカをした。ケンカといっても兄の僕が一方的に勝っていた。大げさに泣く弟に僕は容赦無かったが、ケンカ以上に仲良く遊ぶことの方が多かった。風呂上がりに、ぬれた身体のまま外に飛び出して、母にこっぴどく叱られたり、姉を驚かせようと押入れに隠れて、そのまま二人とも眠ってしまったこともあった。幼少期に、弟と過ごした時間は他の誰よりも多かった。ケンカをしても、謝らなくて仲直りできたのが弟だった。そんな弟の耳のことを、僕は全く気にも留めないでいたダメな兄だった。

 あの日、手術は無事に終えたが、五十年以上たった今も、弟の右耳は音をほとんど聞き取れない。絵本『夏と おとうとと』を、健康な人には無いハンディを背負って、頑張って生きてきた弟へ贈りたい。

(ふくだ・いわお)●既刊に『ぼくだけのおにいちゃん』『おつかいしんかんせん』『しゅくだい大なわとび』など。

『夏と
光村教育図書
『夏と おとうとと』
ふくだいわお・作
本体1,300円