日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『たぬきがくるよ』 高科正信・作 寺門孝之・絵

(月刊「こどもの本」2015年10月号より)
高科正信さん

行って帰ってくる子どもの時間

『たぬきがくるよ』の主人公わかばは、どんぐりを拾おうとして〝ウサギ穴〟に落ちる。そしてそこでリスのゲルベゾルテに出会い、タンポポ茶とどんぐりのクッキーをごちそうになる。また、タコのかたちをしたすべり台を滑っていると海に投げ出され、海の生きものたちと愉しいひとときをすごす。
 ぼくはずっと、こちらがわの物語ばかりを書いてきたのだが、あるときふとあちらがわへ行って帰ってくる物語を書いてみたくなった。おとなが現実世界を生きることに精一杯なのに対して、幼い子どもほどこちらとあちらを自由に行ききできる。あちらの世界で満足するまでたっぷりと遊び、こちらへ帰ってくる。その、至福ともいえる時間が気になっていたからだ。
 子どもの頃、「キューピィさんがくるよ」といわれると首をすくめ身をよじり、しまいには泣きじゃくってしまった人を知っている。べつにキューピィさんが怖かったわけではない。河童でも山姥でもなまはげでもよかった。ダンゴムシだってかまわなかったのだ。信頼をよせるちかしい人にからかわれ脅される……。そのことに耐えられないほどの恐怖を感じたのではないのか。彼は今キューピィさんなんか怖くない。
 マリー・ホール・エッツの絵本『もりのなか』『またもりへ』に登場する子どもは、森の動物たちと遊ぶことができる。実に豊かな時間を生きている。けれど、父親に動物たちは見えないし、息子のようにわらうことさえできない。
 子どものときに見えていたものが成長とともに見えなくなり、子どものときに怖かったものが怖くなくなる。悲しいかなそれをこそ成長と呼ぶ─。
 子どもの頃ぼくの家に本はなかった。買ってくれるおとなも読んでくれるおとなもいなかった。リスとお茶を飲んだり、海の生きものたちと遊んだりした記憶もない。で、今、書くことでそれを追体験しているのかもしれない。
 明るく軽やかで怖いさし絵を描いてくださった寺門孝之さん、この場をかりて深く感謝します。ぼくと一緒に遊んでくださってどうもありがとう。

(たかしな・まさのぶ)●既刊に『ふたご前線』『さよなら宇宙人』『ぼっちたちの夏』など。

『「書名」』
BL出版
『たぬきがくるよ』
高科正信・作 寺門孝之・絵
本体1、200円