日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『オイモはときどきいなくなる』 田中哲弥

(月刊「こどもの本」2021年8月号より)
田中哲弥さん

三匹の思い出

「オイモ」という名前の犬が実際にいるかどうかはわからないが、なかなかいい名前だと思っている。昔うちで飼っていた犬の名前は「よだれ」だった。オイモのモデルとなったのは主にこの犬だ。初めて我が家へやってきたとき車酔いでへろへろになっており、よだれをだらだらと流しつづけていたのでその場でぼくがそう名付けた。他の家族や知人からは「女の子なのにかわいそう」だとか「ひどすぎる」とか「一種の虐待」などと不評だったが「よだれ」と呼ぶといつも嬉しそうに尻尾を振っていたので本人は気に入っていたはずである。

 よだれの前に飼っていたのが「ラッコ」その前が「サンデー」だった。どちらもうちの父親が名付けた。これまでのぼくの人生でいっしょに暮らした犬はその三匹しかいない。全員雑種。ラッコとサンデーは産まれてすぐ山に捨てられたらしく過酷な運命にも負けず自力でうちまで辿りついた野良犬経験者であったが、よだれは知人の飼い犬が数匹の仔を産んだとき最後まで誰にも引き取られなかったのですまないがもらってやってくれぬかと頼まれたのだった。これはこれでかわいそう。

 だからなのかどうなのか、よだれは野性がまったくない気弱な性格で、山奥の平和で静かな環境だったにもかかわらずひたすらいろんなものを怖がり恐れ怯える日々を過ごした。その怯えようはいくらなんでもそこまでしなくてもと見る者を感嘆させる芸術的ギャグの領域に達しており毎日本当に楽しませてくれた。ラッコもサンデーもいろいろとおもしろかったがよだれは別格だった。笑いの天才だった。

 そもそもなぜ犬の話を書こうと思ったのかまったく覚えておらず、なにがどうなってああいう話になったのかもよくわからないのだが、書いている間は思い出が頭の中で走り回り、よだれもラッコもサンデーも、実家に帰れば今も会えるような気がしてなかなか幸せだった。おもしろい時間をたくさんくれた三匹の犬に、この本を捧げたい。

(たなか・てつや)●既刊に『鈴狐騒動変化城』『やみなべの陰謀』『大久保町の決闘』など。

『オイモはときどきいなくなる』"
福音館書店
『オイモはときどきいなくなる』
田中哲弥・作/加藤久仁生・画
定価1,540円(税込)