日本児童図書出版協会

児童書出版文化の向上と児童書の普及を目指して活動している団体です

こどもの本

私の新刊
『猫だもの ぼくとノラと絵描きのものがたり』 かさいしんぺい

(月刊「こどもの本」2018年3月号より)
かさいしんぺいさん

一人と一匹の物語

 ふりかえると僕は人生という長い路で、よく転ぶ子だった。みんなが難なく越えていくような段差にも、ときには段差と認識されないような起伏にさえ、とにかく転んだ。人生には年齢に応じた流儀があり、小学生には小学生の、中学生には中学生のそれがある。でも僕はいつもワンテンポもツーテンポも遅く、みんなについていけてなかったように思う。そして転んでは追いかけた。

『猫だもの』はそんな適応能力がない僕が、どうにかこうにか高校を卒業し、牛乳配達のアルバイトを始めたところから始まる。ある朝、いつもと同じように牛乳を台車に載せて早朝の街を歩いていた僕は、こんどは比喩ではなく本物の段差にぶちあたる。あっと思った瞬間「北軽井沢牛乳」という大きなびんが落ちて割れた。「しまった!」と思ったときには、アスファルトの上には牛乳の海ができていた。

 あわてて雑巾で拭いていると、どこからか一匹の猫が現れ、牛乳を舐め始めた。この日、僕はひたすら拭き、猫はひたすら舐め続けた─奇妙な共同作業だった。翌朝も台車をゴロゴロと押していくと、どこでその音を聞きつけたのか、またあの猫がやってきて、遠くから僕を見ている。視線はあきらかに牛乳びんを割ることを要求していたが、僕は丁重にお断りした。しかし次の日も、また次の日も、欠かさず毎朝やってくる猫に、とうとう僕は宣言する。「今日からおまえをキタカルと呼ぼう」と。

 それはこの社会の隅っこで、自分の居場所を探し求めながら生きる一人と一匹の物語の始まりだった。巡る季節のなかで、毎朝綴られる一ページ、一ページは、やがて同じようによく転ぶ絵描きを巻き込み・ぼくとノラと絵描きのものがたり・となってゆく。

 さてあれから十七年、僕は転ばないようになったかというと、やっぱりそう上手くはいかないみたいだ。でも昔と違って今は、よく転ぶ人生も、違う景色が見えて悪いことばかりではないと思っている。

(かさいしんぺい)●既刊に『ねぇ、しってる?』(いせひでこ/絵)。

『猫だもの ぼくとノラと絵描きのものがたり』
平凡社
『猫だもの ぼくとノラと絵描きのものがたり』
いせひでこ・絵と文
かさいしんぺい・文
本体1、200円